この時代の台湾独立運動について、まず特筆されるべきことは、日清戦争後の下関条約で日本が清国から台湾を割譲された際、台湾が「台湾民主国」として一応の独立を宣言していることである(黄昭堂:『台湾民主国の研究―台湾独立運動史の一断章』東京大学出版会。1970年)。しかし、この政権は大陸から派遣されていた清朝の官僚や清国軍、清国の科挙試験に合格したごく一部の台湾人特権階級を中心としたものであったため、短期間で解体、崩壊した。日本軍の台湾上陸の報を聞いた清朝の官僚は直ちに外国船で大陸へ逃亡し、清国兵は台北で台湾人への略奪を始めている。台湾人の有産階級は、独立どころか日本軍に救援を依頼し、進軍の手引きまでしている。この時期、「台湾独立」を熱望する台湾人は、ほとんど皆無であったと考えても差し支えないだろう。
また、この後に、いわゆる「土匪」による日本軍への抵抗運動も行われるが、これも既得権益を失うことを恐れた地方の有力者による反抗と言うべきで、「台湾独立運動」と考えるのは難しい。
1945年以前の唯一の正統な台湾独立運動と言うべきは、台湾共産党によるものであろう。1920年代、台湾共産党は、日本共産党の指導の下にあり、これがコミンテルンの指示を受け、「日本帝国主義」からの独立を目指している。しかし、これも決して大きな広がりを持つには至らなかった(この時期の台湾独立運動の代表人物としては、謝雪紅などが上げられる)。しかも、中国共産党は、台湾共産党の主張する社会主義的理念に基づく台湾独立を認めず、彼らの多くを追放したため、台湾共産党の主導による独立運動も一気に終焉を迎えるのである。
1970年の台湾独立建国連盟設立後を境に前期・後期と分けられる。
初期の独立運動は、日本へ留学した留学生が活動の中心となった。これは日本統治時代の影響で日本語を習得していた人間が多く、台湾から日本の大学への留学が比較的容易だった事が背景にある。
中華民国国外における本格的な独立運動の先駆けとしては、廖文毅による日本での台湾共和国臨時政府樹立が挙げられる。しかしながら、臨時政府は財政問題や国民政府の圧力などによっていきづまり、廖文毅の「投降」後に瓦解した。
他にも、日本では許世楷や黄昭堂、金美齢および夫の周英明、日本人では宗像隆幸らが中心に活動し、台湾独立を主張した雑誌『台湾青年』をはじめとする諸著作の出版や中華民国政府による人権抑圧や、中華民国政府に好意的な日本政府に対する抗議デモ、また当時台湾で軟禁状態だった彭明敏亡命の支援など積極的に台湾独立運動が行われた。この時期に出版された諸著作は台湾独立運動の法学・歴史学上の基礎となっている。
こうした日本の活動参加者やアメリカへの留学生などにより、台湾独立建国連盟が設立された。その後、アメリカが台湾独立運動の中心となった。これは日本語を常用していた学生が年月の経過により減少したことや、中華民国政府の対米影響力が減少した事が背景にある。彭明敏や黄文雄など、日本語能力を持つ者も、アメリカに滞在している。
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ちなみに、後の台湾の民主化によって台湾独立運動は一気に加速するが、台湾の民主化は、主に国民党に入党した李登輝ら台湾人(許國雄の項参照)の手によって推進された。李登輝は、国民党による大陸との統一路線である「反攻大陸」のスローガンを破棄し、「二国論」を展開。大陸は中華人民共和国が有効に支配し、台湾にはこれとは別の国家である中華民国が存在すると主張した(中華民国在台湾)。李登輝は更にこの主張を前進させ、「台湾中華民国」という呼称を提唱、国民党総裁を離職してからは、「台湾団結連盟」(後述)という「台湾」と名の付く初めての政党を結成した。現在は台湾正名運動に取り組んでいる。